2015年10月10日土曜日

「纏われる心 Weared Mind ―モノと心の再縫合―」



8月25日フィルムアート社から発売された『ファッションは更新できるのか?会議』という本に、「纏われる心―モノと心の再縫合」という論考を書きました。

本自体は、ファッションに関する論考が並んでいますが、僕の論考にはブランド名さえ出てきません。代わりに、「ソクラテス」と「琵琶法師」のファッションを分析する、という思い切った文章を書きました。

なぜソクラテスは自分の外見を気にしなかったか、なぜ琵琶法師の衣服は神秘性を持ったのか?ファッションが制度化する以前の、純粋な「衣服を纏う」ことの意味について考えてみたものです。

テーマの中で自由に書かせてもらったので、実質的には「ソクラテスと琵琶法師の身体論」といったところです。この二人を比較することで、西洋と東洋の思想的な違いを浮かび上がらせることができたら面白いのではないかと書いたもので、なかなか見ない文章になっているのではないかと思います。

少しだけ、冒頭の文章を紹介しますので、気になった方はぜひ書店で手にとって見てください。

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いままで精神も徳も、百度も千度も試みては、誤った。そうだ、人間とは試みだったのだ。ああ、多くの無知と誤りが、わたしたちの身体となった! 
『ツァラトゥストラはこう言った』フリードリヒ・ニーチェ


 神話の時代、人は世界全体を衣服のように纏っていた。科学史家モリス・バーマンはそう指摘している。人々の心は自然や神と一体であり、「自己」という感覚は果てしなく希薄であった。湧き上がる意志や感情は取り憑いた神の指令であり、戦争は神々の争いの代理戦争であった。「魂(プシュケー)」は、純粋な精神であるよりは血や肉に近い言葉であり、また時には大地を吹く風(プネウマ)のようなものであった。 
 おそらく、神や自然から人間を切り離した最初の人物が、紀元前5世紀に登場した哲学者ソクラテスであり、ここに決定的な人間と自然の分離を促進したのが17世紀の科学革命である。歴史を通じて徐々に切り離された人間と世界、心とモノ。裁断されたこの心とモノの関係を再縫合することはできないか。人間と世界のまさに境界、インターフェイスとしての衣服、そして衣服を超えたファッションというテーマに向かって、あえてファッション論の外側から考えたい。本稿はそのために、「ソクラテス」と「琵琶法師」のファッションを分析する、という少し変わったアプローチを実験してみようと思う。

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